はね妻の育児日記③次男についてと題して、情報共有をします
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こんにちは。すっかりご無沙汰してしまいましたが(汗)はね妻です。
前回日記を書いた頃は、まだ歩き始めだった次男くんもすっかり大きくなり2歳7ヶ月になりました。
3月が誕生日の早生まれなので、来年の春には早いもので幼稚園の年少さんです。
幼稚園のプレ(正式な入園前の未就園児クラス)に通っていますが、やっぱり周りと比べて出来ることは圧倒的に少ないし、言葉もまだまだ片言です。
走るのだけは割としっかりしていて遜色はないのですが。
…日頃、兄姉の後を常に追いかけ回している成果でしょうか。(笑)
年中さんの年に入園でも良いのですが、母はすでに40をとっくに過ぎて、もう1年家で次男くんを見る自信が全くないので(笑)まだ出来ない部分に関しては幼稚園の先生方にお任せしようと思います。
今日はそんな次男くんの妊娠・出産について書いていこうと思います。
早く書いておかないとどんどん忘れていってしまう年になってしまったので…(汗)
次男を妊娠したのが2013年の8月で、長男が小4・長女が年長さんの時です。
実は3人目が欲しいとは正直全く思っていませんでした。
経済的にも自分の体力気力的にも、また乳児を1から育てるのは無理だな…と思っていたので。
翌年には長女の入学も控えていましたし、子供達の手もだいぶ離れるのでそろそろ仕事を探して働こうかな…と漠然と考えていました。
長女が幼稚園に入った時点で働いても良かったのですが、年中の時にはある資格を取るために1年間講座に通っていたのと、年長では自治会の班長が回ってきたのと同時に幼稚園の父母会の役員もやっていたので(しかもなぜか会長までやる羽目に…それはまた別の記事にて・笑)小学校に上がってからでいいやとのんびり構えていたら。
まさかの3人目妊娠。
娘を出産してから6年も経っていたので、わかった時にはかなりドキドキしました。
その頃描いていた将来設計もガラガラと崩れましたし、40歳はもう高齢出産の域だし、何より、父母会の会長が任期中に妊娠なんて聞いたことないよ…途中で交代なんて無理だし…園になんて説明しよう…といろんな不安が頭の中をグルグルしていたのを今でも覚えています。(笑)
自分でも、嬉しいというより不安感情ばかりだったのでしかたないのですが、自分の母に報告した時の第一声が怪訝な顔での「ええ~~!?本当に??」だったのが、実はちょっとショックだったりしました。
その当時、はね丸とはケンカしがちだったのも知っていたので当然と言えば当然の反応ですが…自分の親くらいは喜んでくれるかと思っていたので。
その後はもちろん「どうせ産むなら、もっと早く産めば良かったのに~~私も年を取ってから面倒見るのは大変なのよ(笑)」と笑って喜んではくれましたし、今は久々の幼児の孫が可愛くてしかたないみたいなので、無用な心配でしたけど。
でもやっぱり、1人目2人目とは違う、複雑な感情を抱いた妊娠ではありました。
40歳での妊娠は、若い時の妊娠に比べると体力気力がかなり衰えていますし、基本的にネガティブな感情の方が先に立つので(笑)結構しんどいものでした。
3人目ということで、この時期はだいたいこんな感じ…という経験はあったので、妊娠そのものに対する不安はさほどなかったですが、高齢出産や、すっかり中年太りの始まってしまった体で妊娠することの不安は大きかったです。
せめて産院くらいは、最後の出産を少し贅沢に・産院にいる間くらいはのんびりできるところが良いなぁと思って探し始めました。
が、残念なことに、個人の手厚い産院はことごとく条件に合わず断念…
長女の出産の時が帝王切開で、帝王切開を経験済みくらいだったら個人のところも受け入れてくれるのですが、私の場合はその帝王切開と同時に子宮筋腫の切除もしていたので、そこが「手術の既往歴あり」という項目に引っかかってしまい、結局は総合病院の産婦人科しか診てもらえるところがありませんでした。
たぶん、3人目も産むつもりだったら、子宮筋腫は妊娠とともに大きくなって出産とともに小さくなるらしいので、長女の時に子宮筋腫は取らず温存したと思いますが(筋腫は長男の時に発覚したもので当時はそのまま何もしなかったので)こんなところに落とし穴があったとは…
ちなみに長男の時は国立病院の産婦人科で産みました。
設備も古めだったし大部屋で母子同室だったので、赤ちゃんが泣くと周りに気を遣ったし、授乳時間もきっちり決められていて辛かった思い出があったので、長女の時には正反対の、綺麗な完全個室で授乳も赤ちゃん次第、母子同室だけど預かって欲しい時はどんどん預かってくれる、面会も0時くらいまでOK…というホテルのような産院で、このまま家に帰りたくない…と思うほどのところでした。(笑)
最後の出産こそ、長女の時みたいなところで産みたかった…
次男は長男の時とは違う病院で、設備も綺麗だし一度大部屋の経験はあったので覚悟はしていましたが…やっぱり長男の時とは年が違いすぎました。(涙)
産めば産むほど出産後の後陣痛がひどくなる、と聞くように、私も次男の時が一番つらかったです。
長男の時は会陰切開の痛みが強くてあまり後陣痛は感じなかったし、長女の時は帝王切開の痛みは我慢せず痛み止め飲みましょう!とどんどん薬をくれたので長男の時よりラクだったくらい。
それが、次男の時は、後陣痛というよりも以前切ったところをまた切られたせいなのか、先生の腕のせいなのか、それとも自分の年のせいなのか帝王切開の傷の痛みが結構ひどくて、痛み止めをこまめにもらってもかなり辛かったです。
その痛みに耐えながら、3時間ごとの授乳で授乳室に通うのも本当に辛かった…
3時間毎といっても、授乳の行程でいろいろやっているとあっという間に1時間~1時間半経ってしまうので、部屋に戻ってもまたすぐ次の授乳で授乳室へ…でほとんど寝られませんでした。
食事も、妊娠中からずっと尿検査でたんぱくが引っかかっていたので、減塩食にされて味気ないものばかりだったし、とにかく早く家に戻りたいと思ってばかりいました。
せめてもの救いは、同じ日に同じく帝王切開で出産した同部屋の人といろいろ話せたことと、自宅に泊まり込んで子供達の面倒を見てくれていた母が、ほぼ毎日長女を連れてお見舞いに来てくれたことくらい。
本当なら一番頼りたかったはね丸も、ちょうどその頃自分の体調不良を抱えていて産後の私を気に掛ける余裕もなかったので、唯一の支えは母と子供達でした。
なので、退院の時も、なるべく早く母に迎えに来てほしいと思っていたのに、予定の時間を2時間過ぎてようやく来た母に無性に腹が立ち、帰宅後もイライラをぶつけたり無視したりそれはそれはひどい有様で。(実は、退院の会計が終わったら連絡するね、と私が言っていたのに連絡しなかったので、母は家を出なかったのです…汗)
挙句の果てに、私の態度にさすがにキレた母と言い争いの大ゲンカに発展…
捨て台詞で出て行こうとした母に、今帰られたら本当に無理!!と泣いて謝まって何とかその場は収まりましたが…あれが史上最悪の母とのケンカだったなぁ…と思い出すだけでちょっと背筋がヒヤッとします。(笑)
今思えば、あれは完全に産後ブルー?産後うつ?状態だったなぁと思います。
家に帰ってきてからは、家事は母が完全サポートしてくれましたし、周りに気兼ねすることなく久しぶりの乳児とのんびり過ごせて、兄姉たちも赤ちゃんを可愛がってくれましたし、不安なことなんて嘘みたいに何もなくなっちゃったんですよね。
そう考えると、出産の環境って結構大事だったんだなぁと今さら痛感しますね。
どこで産むか、ということもありますが、出産の方法自体も、助産院だったり自宅での出産なんかも最近は多く聞きますし、自分がどんなふうに出産したいか、どんな環境で産後過ごしたいか…など、産み方をもう少しじっくり考えて満足いく出産をするのが、産後に不安定な気持ちにならないためにも大切なことだと思います。
私にとっては結構苦いものになってしまった次男の出産ですが、そこで苦労したから神様が大目に見てくれたのか(笑)3人の中では次男が一番アレルギーが出ずに済んでいます。
兄姉はどちらも生後半年くらいからほっぺたが真っ赤になって湿疹が出たり、耳切れがひどかったりして早くから肌トラブルで病院に行きましたが、次男は時々耳切れするくらいで他はほとんど肌症状は出ませんでした。
その後も、何かしらの花粉やハウスダストに少し反応してるみたいですが、喘息も今のところ出ていないし、兄姉が苦しめられたクループ症候群もまだ発症したことはありません。
以前テレビ番組で、アレルギーが一番出やすいのは第一子…という衝撃の説を唱えているのを長男と一緒に見たのですが、我が家の経験からすると妙に納得のいく内容でしたし、ええ~~第一子っていうだけでアレルギーが出やすいなんて…と長男がちょっと恨めしそうだったのを覚えています。(笑)
ちなみにその説を唱えていたのは、長男を産んだ病院にいて診察も受けたことのある先生だったのも衝撃の1つでしたが。
とはいえ、第三子だからといって、今までの育児の教訓を生かしてアレルギー対策を丁寧にしているかというと…子供が3人になった影響で大ざっぱさには拍車がかかり、どちらかというと一番おざなりになっているかもしれません。
ただ1つ、子供の肌のスベスベさにごまかされて上2人の時は保湿をあまりしていなかったので、次男には比較的まめにボディクリームを塗ってあげているのが良いみたいです。
肌を保湿してあげることでアレルギー症状を軽減できることが実証された、とも同じ先生が言っていたので、それでアレルギーが防げるのなら…とお風呂上りには出来る限り保湿してあげています。
そのおかげで、次男は進んでボディクリームを塗らせてくれるし自分でも塗ろうとします。
逆に、今までたまにしかやってあげなかった長男は、無理やり塗ろうとしても嫌がって逃げていきます。(笑)
なんでも小さい頃からの習慣は大事なんだなぁと思います。
他の事に関しても、兄姉という大きなお手本がいるせいか、自分でやりたがる時期が兄姉よりずいぶん早かったように思います。
たぶん、自分は兄姉と対等と思っているんでしょうね。
怒ると平気で兄姉を容赦なく攻撃して、容赦なくやり返され泣かされています。(笑)
年が離れた兄弟なので甘やかされて育つかと思いきや、うちの兄姉は大人げないので小さい弟にも結構厳しいです。
でも、兄弟の中で揉まれてたくましく育ってほしいので、ある程度は見て見ぬふりをしています。
おかげで、下手すると女の子に間違われる外見とは裏腹に、結構悪魔な行動をする子に成長中です…
そんな次男くん、兄姉の通っていた幼稚園に入園するか別のところにするかずいぶん悩みましたが、結局別の幼稚園に入れることにしました。
幼稚園選びについてもまた追々書きたいと思いますが、今日はこの辺で。
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カテゴリー | : | 妻の育児や家族のこと |
キーワード | : | 3人目の子供,末っ子,年の離れた兄弟,40歳での妊娠,産後ブルー |
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